ひとつは昭和35〜36年に小野に工場を造った事です。なぜ小野に土地を買ったかといいますと、元々工場は兵庫区の街中にあって、大変だったんです。周辺住民のことも配慮して、どこか広いところで工場を持ちたかった。いろんな場所を物色していたんです。当初は明石あたりを考えていたんですが、なかなか適当な所が見つからなかった。
ちょうど小野に戦死した長男の嫁の里がありまして、そこに当時、坪あたり800円ぐらいの土地がありました。最初は450坪程度ではじめました。
当時の工場は5〜6人で日産500個のブロックを作るのが限界でした。アメリカで工場を見学しますと日産50000個です。なんと100倍です。でも日本だって20年〜30年後にはこうなるという確信がありました。
アメリカで見た工場のような規模にするには当時の金額で大金が必要でした。そんな話どこの銀行も相手にしてくれませんでした。でも唯一、話を聞いてくれたのが今のメインバンクです。我々は融資してもらおうと16mmのフィルムを持参してアメリカの話を熱心にしたものです。
そんな状況でしたけど、3年後には日産10,000個作れるようになっていました。まさに当時は高度経済成長でしたから。飛躍的に業績も伸びたんです。 |