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Kubota Cement
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 1906  建築請負業「久保田組」創立
 1947.04  久保田建材工業所設立
 1958.10  株式会社久保田建材工業所に組織変更
 (資本金150万円)
 1960.5  久保田セメント工業に社名変更
 1961.1  小野工場完成
 1961.10  佐伯博三、社長に就任
 1964.3  空洞コンクリートブロックの生産開始
 1965.3  空洞コンクリートブロック量産工場完成
 1967.3  最新鋭ブロックマシンローダー
  (国産第1号機)を開発
 1968.8  桂機械全自動マシン増設
 1969.2  通産省より日本工業規格表示許可工場
 (JIS)の許可を得る
 1969.8  世界最高水準のコロンビアマシン導入
 1970.4  新工場完成 キュービングマシン設置
 1971.6  国産最大最新鋭機桂K2M工場建設開始
 (10月完成)
 1972.5  スプリッターを設置
 1973.11  第1次HB計画完成
 1974.8  本社社屋竣工
 1975.2  神戸本社にコンピュータ導入
 1978.6  出荷ステーション第1次計画完成
 1981.4  小野工場にコンピュータ端末機導入
 1981.7  建築工事部門を新設
 1985.8  本社と工場にシステムコンピュータ導入
 (第1次OA化)
 1989.10  第2次HB計画の新工場完成し、CBとILBの
  生産開始
 1991.12  旧工場に大型ショットマシン設置
 1992.4  第2次OA化で、システムコンピュータ
 (IBM-AS400)導入
 1993.4  会長に佐伯博三、社長に佐伯元康就任
 1993.8  神戸本社、新社屋完成
 1993.11  新工場拡張で生産力倍増
 1995.1  佐伯元康社長死去にともない、
 新社長に佐伯匡俊就任
 1996.8  第3次HB工場完成
  (リブスプリットブロック製造開始)
 1996.12  第3次HB工場にてAB石垣製造開始
 1997.11  宝塚市に阪神営業所開設
 1998.3  灰入ブロック生産
 1998.10  本社新社屋完成(ポートアイランド)
 1999.1  新本社において業務開始
 1999.11  大阪府岸和田市に阪和営業所開設
 2000.11  兵庫県揖保郡太子町に姫路出張所開設 
 2001.2  第3工場(加工工場)完成
 2001.12  多品種に対応する為、第2工場にマシン増設
 2002.11  京都府八幡市に京阪奈出張所開設
 2007.5  会長に佐伯匡俊、社長に佐伯孝彦就任

なぜコンクリートブロックを製造・販売を
                      するようになったのでしょうか?
 
佐伯:

これは私共の父の考え方に関係します。昔の建築業界には少々行儀の良くない方もいましたので、クリアーな関係で仕事をいただくのが難しかったそうです。今はもちろんそんなことないでしょうけど。

それで息子達にはその様なことをさせたくなかったので、戦後になって、自分の技術を生かし、コンクリート製品の製造、販売をしようと考えました。敗戦直後の食糧難の時代ですので父はまず、人々の食生活のお役に立ちたいと思って、カマド、流し台、コンクリートのゴミ箱とか、こういうものから始めました。当時はいずれも飛ぶように売れたそうです。

しかし、昭和20年代後半から30年代になって戦後の復興が本格的に始まってきますと、カマドはガス釜・電気釜等に変わってきました。また流し台はステンレス製が出てきましたので、だんだん売れなくなってきました。コンクリートのゴミ箱は昭和30年代になってもまだ売れましたが、昭和38年の東京オリンピックの時に交通の妨害になるからと道路から撤去するよう命令が出ましたので一気に売れなくなりました。

それで昭和39年頃から本格的に建築用空洞コンクリートブロックの製造、販売に転換しました。コンクリートブロックについては昭和20年代の後半に神戸の小野田セメントが生産しておりましたので、大変興味を持っておりました。しかし我々が製品の転換を迫られた昭和37年頃にブロック業界の市場調査をしますと、兵庫県内で月産約200万個(10cm換算)の需要があり、
約180社あまりのメーカーがありました。そしてその内の数十社を訪問して業界のことを色々教えていただきましたが、ほとんど例外なく、「シンドイばかりで売れることは売れるけど儲からない。何か他に良い仕事はないやろか」と将来に対する夢はありませんでした。しかし需要はあり、建築の基礎とか間仕切りとか目に見えない所で世の中のお役に立っている。また、アメリカの市場を調査しますと非常に有望であることがわかり、我々は決断しました。

現在の小野市に新たに1500坪の土地を購入して昭和40年5月に工場が完成いたしました。これが当社のコンクリートブロックメーカーとしての本格的なスタートとなります。兵庫県では最後発のメーカーです。

父に云われたことですが、人間の生活に役に立つものを作っていれば人類の生存する限り、需要は永遠にある。時代によって作るものは代わっていくけどなと。コンクリートブロックも建築用から舗装用、化粧用ブロックのように多彩に変化してきました。当初は建築用空洞ブロックが製品の10割を占めていました。

今は建築用ブロックは4割、舗装用が3割、化粧用は3割になっています。この比率は今後も変わって行くと思います。世の中の変化に伴って我々も変わっていかなアカン。それも日本だけやなしに、世界的な規模でね。

2代目の社長である前会長(佐伯博三)は「世界の住環境の改善と進展に寄与したい」という大きな夢を持っていました。私も同感ですが、もう少し身近なことから実現したいと思いまして「わが国の住環境の改善と進展に寄与したい。」という夢を持ったわけです。日本の住環境も昔に比べて良くなりました。それでもまだまだ当社も貢献できる余地があると思っております。

 
自宅はブロック建築だそうでね。(1階ブロック 2階木造)
 
佐伯:

ブロックで建てると言ったら、最初は、妻と娘が反対しました。ブロックってイメージがよくなかったんですね。でも本社がブロックの新社屋になってから、かなり考え方が変わりました。今は大変気に入ってくれています。

 
この本社ビルのブロックは本当にいいですね。
インパクトもあって落ち着きもあります。
 
佐伯:

本社をブロックで建てるというのが私の夢であり、業界の夢にしたいと思って建設しました。建物も舗装も擁壁も全部自社の製品を使用してほしいと、竹中工務店さんにお願いしてやっていただきました。 社員も皆喜んでくれました。

あと自宅で気に入っているのは庭です。当社のガーデニングの製品を使ってます。

話は変わりますが、日本のお城の石垣というのは素晴らしい技術です。全然コンクリートを使わず施工する方法(乾式工法)があります。これは世界に誇れる技術なんです。

その技術を参考にしているのがAB石垣です。AB石垣やインターロッキングブロックは乾式工法のため、雨水を土に戻そうとします。水を通して自然に返そうという考え方です。透水インターとか保水インターとかね。保水インターなんかは水を含むから、その気化熱で地球の温暖化防止に少しでも貢献できるっていう製品です。

このようにだんだん環境を守るための製品になってきてます。地球温暖化って言われていますが、私が子供の時に比べて確かに感じますね。50年前の入学式は4/10、ちょうどその頃に桜が満開でした。それが今はもう散ってしまったね。(インタビュー日は4/9)余談やけどね。

私の行動指針は「私達をとりまく環境を少しでもよりよくしていきたいという意識と行動が支えとなっています」(会社案内パンフレットより)せっかくこんな素晴らしい、日本の国を先祖、親、諸先輩から受け継いできたので、それを更に少しでもよくしていきたい。そしてそれを子孫に伝えていきたい。そんなささやかな願いでブロック製造業をやってるんです。

第4話へ続く
 

第1話 「建築請負業『久保田組』成立 〜なぜ久保田なのか〜」

第2話 「すべては大中小の御恩にて成立せり 〜親の教えが経営方針となった〜」
第3話 「建築請負業からコンクリートブロック製造業へ 〜人の生活に役立つものを〜」
今後のラインナップ
第4話 「飛躍、そして震災〜ブロックをどんどんつくってくれ〜」