創業者の弥吉は左官業を志し、ある親方に仕事の手ほどきを受けました。この親方は仕事には大変厳しい人でしたが、跡継ぎがなかったせいもあってか、父を自分の子のようにかわいがってくれたようです。
この親方は「久保田嘉造」といい、非常に先進性に富んだ人だったようで、
「日本で初めて石炭を燃やすカマド」を作ったと聞いています。歴史には出てきませんが(笑)。黒船は石炭を燃やして動いていましたから「どうすれば石炭を燃やし続けることができるのか?なんとかして効率の良いカマドを作れないだろうか」ということで黒船に潜り込んで勉強したと聞いています。
そして、効率の良い空気の供給を実現する形状が考案され、ついに石炭を燃やすカマドを作り上げました。今で言えば技術革新ということですかね。
これが立派なカマドだったようで、高級料亭などでは、カマドといえば
「“久保田のカマド”じゃないとアカン」ということで、どんどん売れたようです。紀伊国屋文左衛門ではありませんが、とにかくそれで大もうけしたようです。
ところがこの親方、仕事には妥協をしないが、儲けた金は、全部使ってしまったようです。仕事では引っ張りだこだったので、繁華街の高級料亭でも仕事が多く、仕事が終わるたびに「旦那さん旦那さん」と呼ばれては、気がいいというのか、そのお店で上手にお金を使わされてしまったようです。
その一方、まるで母親のように優しかった奥様が家計のやりくりに苦労をしているのを知っている父は、そういう親方を呼びに行っては、「“自分はこんなことはしないぞ”と思った」と話してくれたのを思い出します。この点は親方が反面教師ですね。ですから、父がそういうことをしたのを私は見たことがありません。
親方夫妻と父の仲を良く表した話が残っています。警察署長に親孝行ということで2度も表彰され、新聞にも掲載されたということです。
世間では「久保田の孝行息子」と言われ、本当の親子だと思っていた方も多かったようです。ですから本名の「佐伯」と言っても「誰やねん?」ということになるのです。父はここで仕事だけでなく、人生のいろんなことを親方夫妻から学び夫妻に対し非常に恩を感じていたようです。
跡継ぎのいない親方は晩年に「これで久保田の名前が絶えてしまう」とそれは残念そうに父に話したそうです。そこで父も考え、「久保田という名は屋号として残しますから、どうか安心してください」と約束し、その後、独立したときその約束を守ったわけです。
話が長くなりましたが、
そういうわけで創業時の屋号が建築請負業「久保田組」。
親方夫妻から受けた“恩”の証であり、またそれは、創業者 佐伯弥吉の考え方をよく表した社名であると思っております。 |